ポラリス・ア・ラモード

仕事/キャリア

《認められたいスパイラル》を抜け出せ!人に認められる人生から、自分が納得できる人生へ。

haru

2019/07/10

みなさん、こんにちは。最近は、つとめて早く帰宅するようにしていて、

この時間に一通り家事を終わらせてから、ポラリス ア・ラ・モードの記事を書けてとても幸せな編集長haruです。🌸

(私は、日中は人材紹介会社でキャリアコンサルタントとして勤めています!)

実は私は、誰がなんと言おうと「毎日早く(てか普通に定時に)帰る」と決めたんです。これ決めてからの幸福度がすごい(笑)

今日は、そんな私が最近思うことを少しシェアさせてもらえればと思います。

人に認められよう、認められようって思って疲弊してない?

さて、いきなりズバリの問いなのですが、あなたは今「人に認められよう、認められよう」としてしんどくなっていませんか?

言い方を変えると、「人によく見られたい」と思ってしんどくなっていませんか。

人に認められたい→仕事や家事や活動を頑張る→うまくいかない→もっと頑張る→でもなかなか成果も出ないし、周りにも認めてもらえない・・・

ってこういう状態になっていたら、それはそれは本当に辛いと思うのです。

(私にもたくさん、それはもうたくさん(笑)こうした経験があるので痛いほどよく解ります。)

この「認められたいスパイラル」に入ると、抜け出すのがなかなか難しいし、最悪の場合心身が衰弱してしまいます。

「認められたいスパイラル」を抜け出せ!

私たちって、なんでこんなに「人に認められたい」って思う生き物なんでしょうね。

本当に、ふしぎです。でも、私もそうした思いに囚われそうになることがよくあります。

それはやっぱり、私たちが「社会的な動物」だからですね。本当の意味で一人で生きている人なんて一人もいないはずで

誰かと関わって社会の中で生きています。だからこそ、集団の中の自分・社会の中の自分は意識せざるを得ないです。

そう思う気持ちがごく自然なものである「からこそ」、私たちはめちゃくちゃ意識してその

「認められたい」という気持ちを乗り越えていかないといけないと思うんです。

どうしてか?

それはずばり、人の気持ちはコントロールできないからです。

私たちがいかに「認めてもらいたい」って思っても、その認めてもらいたい人(=仮にマシュマロさんと名前をつけましょう。マシュマロに意味はない笑)にも美学もあるし、考え方も、価値観もあるのです。

私たちが良いと思って行うこともやり方も、マシュマロさんにとってはあまり好ましくないやり方だってことはよくあることだと思います。

そしたら、あなたはこのマシュマロさんに認めてもらうために、マシュマロさん風のやり方や考え方に自分を改めて物事に取り組むことになるでしょう。

マシュマロさんは多少は喜んでくれるかもしれませんが、

その実マシュマロさんにも家庭や義務や、やりたいことも、必死のパッチの毎日もあるのです。

はっきり言って、あなたのこと

マシュマロさんはそんなに気にしていないです!!!!!!!!

(マシュマロ食べたくなってきた)

会話してるその場だけ気にすることもあるかもしれませんが、実はその場を離れたら、彼や彼女の毎日のことで精一杯で

あなたのことを忘れている時間の方が《圧倒的に》多いでしょう。

そんなマシュマロさんにあなたは認められたい・認めたれたいとして頑張って、から回って、しんどくなってたら・・・・

それってとっても本末転倒で、勿体ないことだと思いませんか。

マシュマロさんの毎日はマシュマロさんのものだし、マシュマロさんがどう思うかはマシュマロさんが決めることです。

あなたが「こう思ってほしい!」と思ったって、

その通りにはならないのです。

(ガーン。マシュマロさん・・・←言いたいだけ)

自分が納得できる人生。

ここまでお話したら、いかに「人に認められたい」という思いから生きることが危険、というか不毛であることが分かると思います。もともと人の気持ちは自分の思い通りになんてならない。

そういう見地に立つと、もう認めてもらうかどうかなんてどうでもいいやという気持ちになると思います。

じゃあ、どう思って生きていったらいい?

今まで、両親や家族や兄弟、パートナーや友人、先生や同僚や上司に認められたい!って思ってずっと頑張ってきた人は

認められたいって気持ちがそもそも不毛だなんて言われても困り果ててしまうかもしれません。

私も、人に認められたいって思って生きてきたたちなので、そう思ってしまう気持ちも分かります。

この問いに対する私の答えは一つです。シンプルに一言、

自分が納得できるようにすることだと思います。

人に認められることを諦めて、自暴自棄になって、自分のやるべきこともすべて放棄してしまうのはあまり良い姿勢だと思いません。

なぜなら、そうした自暴自棄になってしまった自分自身を、自分が振り返ってみたときにきっと

「どこか納得できないような気持ち」「なんか、しっくりこない気持ち」が出てくるんじゃないかと思うんです。

だからこそ、現在今時点で人に認められなかったとしても、今後もどうやら認めてもらえなさそうだと思ったとしても

自暴自棄にはならず、《では、自分自身はどうすれば納得がいくだろう》と考えてみてほしいのです。

自分が納得できるやり方って、自分が納得できる人生ってどんなかたちでしょう。

自分が納得できる波乗りができれば幸せ

うまくいくかどうか、じゃない。成果が出るかどうか、じゃない。ましてやマシュマロさんに認めてもらうかどうか、じゃなく。

いつも指針を《自分が納得できるかどうか》にするのです。これだけで、世界が一気に変わる感覚があります。

サーフィンを楽しみたいと思ってサーフィンを始めた人が、一等賞を獲りたい!って気持ちに囚われてしまって無理な練習を重ねて身体を痛めてしまったら…。あれだけ好きだったサーフィンが嫌になってしまうこともあるかもしれません。

誰かに認めてもらうためのサーフィンではなく、自分が納得できる波乗りができれば幸せ、なんじゃないでしょうか。だって、サーフィンを楽しみたくて、はじめたんですものね。

ただ、一等賞を獲りたい!って思って自分が納得できるまで練習して納得する波乗りができたけど

結果、一等賞を獲ることはできなかった。だけど頑張った自分や、頑張った経験に心から納得している。

こういうケースだってあるかもしれません。だから、一等賞を狙うこと自体は悪いことではないですね。

・・・こうやってよく考えたら、このテーマめちゃくちゃ深いなあ。

この世界で穏やかに生きていくための現実的な方法。「自分として納得できる」を積み重ねる。

人に認められることをゴールにすると、終わりないラットレースになるかもしれないけれど

自分が納得できることをゴールにすると、わりと現実的にゴールが見えてきたりします

マシュマロさんに認められたいって気持ちを抑えて、自分自身の気持ちや感情、やり方や在り方を決して置き去りにせず

ちゃんと見つめて、自分の価値観をいつも点検して、自分が心から納得できるかどうかを確かめてみてください

「納得できる」、「納得できる」という経験を積み重ねていけば、

心をおだやかにしてこの世界で生きていくことができるかもしれませんね。

Good-Bye、そしてありがとうマシュマロさん!(という名の社会。)

これからはマシュマロさんの意見も参考にさせてもらって、どうすれば自分が納得できるようになるかを追求していきま〜す♥

編集長haru