「忘れてきた花束」/ 糸井 重里 (2015年) 編集長haruの心に効く今日の一冊
2019/01/06

本っていろいろな読み方や、付き合い方があると思うんです。
専門書や大きい本は、図書館で借りてきて読むかもしれません。PCやモバイルで読む本もあるかもしれません。
友人に借りる本や、借りっぱなしになっちゃっている本もあるかもしれません。
そして、ずっとじぶんの手元にそっと置いておきたいような本もあるかもしれません。
糸井 重里さんの短いエッセイや詩が沢山つまっている、「忘れてきた花束」は私にとってはずっと手元に置いておきたい、そう思うような一冊です。
てざわりのある本
まず、この本を手にしたときのなんとも言えない幸福感は、この本の表紙の「てざわり」からくるんだろうなと思います。
この本は、加工フィルムなどの一切の保護加工をしていないことから、ざらざらしています。
作者と読者のコミュニケーションって、読者がその本を手に取った瞬間から始まる。
その点から言えば、糸井さんからのメッセージとして、「ざらっとしているでしょう。そのてざわりをたのしみながら
なにかじぶんにひっかかるような言葉を見つけてくれたら嬉しい。」
という言葉が聞こえてくるような気がします。
haruのお気に入り
この本には、短いものだと数行から、長いものだと数ページのものまで、糸井さんの言葉が載っています。
その中でも、私のお気に入りの言葉を紹介します。
(言葉のあとのすうじは、掲載されているページ。糸井さんの言葉のあとに、すこしだけ私の考察を。)
花が咲くのは、ある日突然のようですが、そうでなく、
毎日のように予告編は上映されているんですよね。
二〇
糸井さんは、天下一品のコピーライター!
短い言葉の中に、素晴らしいエッセンスがぎゅっと閉じ込められています。
この二行の言葉の中にも、豊かな世界が広がっています。
あるひとがなにかの分野で花を咲かせる。それは突然のように思えるけれど
春を待つ桜が寒い冬の日、幹の中で桜の花を育てているように、実はへんかはゆっくりゆっくり訪れる。
予告編は、毎日上映されている。
ぼくの考える「元気」というのは、
あんまり熱量の高いものではないようだ。
「ほほえみ」と同じくらいの意味なんじゃないかな。
ちょっと微笑んでいる人と、微笑んでいない人。
そのちがいくらいが、元気な人と元気じゃない人の差。
そんなものかもしれない、とも思える。
四九
魔女の宅急便の、「おちこんだりもしたけれど、わたしはげんきです。」は実は糸井さんのコピー。
この「げんき」は、テンションがものすごく高い「げんき!」というより、ちょっと微笑んでいるくらいの「げんき」だよって糸井さんは言います。わたし編集長haruも、この「げんき」の定義はとてもしっくりくる。
そんなに、げんきまんまんじゃなくて、いい。ちょっと微笑むくらいの「げんき」が、ちょうどいい。
「いつできる」は約束できないけれど、
「いまはじめる」は、「いまできる」ことだし、
「夢」とやらを、「できること」に千切って、
「できる順番」にやっていくことならできそうです。
九五
夢をできることに細かく千切って、できる順番にやっていくこと。
まさに、糸井さん流の夢の叶え方のレクチャーです。
他人といっしょにいる時間がすべてになったら
「じぶんとの対話」はやりにくくなるはずだ。
「自問自答」というかたちで、
じぶん自身に問いかけて、じぶんから答えを引き出す。
このことをなくしたら、ひとりひとりの人間の、
ほんとの「その人らしさ」は育っていかないように思う。
一三八
誰かと一緒にいる時間も大切だしたのしいけれど、けっこうひとりでいることも好きです。
ゆっくり思いを巡らせて、じぶんとおしゃべりする時間。
なににも、だれにもじゃまされず、じぶんの声を聞く時間。
そういう時間があってこそ、ニュートラルなじぶんを取り戻すことができるし
こうなっていきたいという理想もじんわりと見えてきます。
伝えにくい荒野の面積が広大であることは
糸井さんはほんとうにたくさんの、色とりどりの言葉を残していて、いまもずっとその言葉は生み出されていっています。
でも、きっとうまく伝えられないなあと思うことがいっぱいなんだと思います。
伝えたい、けど伝えることがむずかしいなと思うようなものごとを
うんうん考え知恵を絞りながら言葉にしていく。
「伝えにくい荒野の面積が広大であることは、たぶん希望だ。」と糸井さん本人がおっしゃっています。
糸井さんのように本を出しているような方でなくても、日常を生きるわたしたちにも
伝えたいけど、なかなか伝えにくいことがたくさんあります。
だけど、それを一生懸命言葉にしていくことがだいじだと思うのです。
伝えにくいこと(でも伝えたいこと)はたくさんある。
「もしかしたら伝えられる可能性のある」ことがたくさんあるということは希望でもある。
だから、言葉にして伝えること・伝えようとすることを、いつもあきらめたくないですね。
編集長 haru