ポラリス・ア・ラモード

アート

塾講師nararaの《あとりえぺたごじすた》vol.1「アート×教育」ってなんだろう

haru

2019/01/06

Air de Paris (https://artmuseum.indiana.edu/online/highlights/view/entries/519)

編集長haruです。この連載《あとりえぺたごじすた》では、私の友人のnararaくんにアートと教育についてお話ししてもらいます。

アトリエリスタは《美術専門家》、ペタゴジスタは《教育専門家》。あわせて、あとりえぺたごじすた

アートと教育はどんなふうにつながるんだろう。

学ぶべき「アート」ってなんだろう

アートと教育、
僕は2つとも元々
とても好きで
どちらも学んでいきたいと思っていました。
 
教育の現場における、「アート」を考えたとき
すぐに思い浮かぶのは、「美術」や「音楽」という教科。

でも、学ぶべき「アート」って
教科の「美術」「音楽」だけなのかな。

何か足りない気がする。
確かに、
それもアートだけど
それだけじゃない気が。

美術の授業で習ってきたときのアートって、
こんな作品があるよ、とか、
こんな技法があるよ、とか、
覚えていくことを促されていただけ
だった気もする。

アートって、
覚えるだけのものだっけ。

「美しい」「醜い」って、
感じられるものなら、
全部アートなのでは?

数学にだって解き方の美しさが存在するし
文章からも流麗さを感じることがある。
隆々とした筋肉の美しさ
生きる物だからこその
美しさだってある。

世の中にあるもの、
全部「美しさ」の尺度から鑑賞できる
アート作品なのかも。

そうだとしたら
どんなものでも自分にとって「美しい」かどうか
判断するのためには
自分の信念がなくちゃ。

「美しい」を感じる心を持ち、自分の感じた「美しさ」を伝え、
しだいに芯を強くしていく、
「アート×教育」を掛け合わせて考えていくことが
そのためのヒントになるように思っていて。

美術や音楽以外にも、
舞台や落語や文学など
日常にあふれているものも取り上げて
自分自身はこういう美しさを感じたよって話をさせてもらいながら
みなさんにとっての
「美しさ」の基準をつくっていってもらうお手伝いができればと思っています。

自分なりの「美」を
探す旅に出かけよう。
 
 
ライター narara