ポラリス・ア・ラモード

コラム

もしも、《ふあん》がひとりの人格だとしたら。

haru

2019/01/05

ある日のバンクーバー, イングリッシュベイにて。撮影haru

編集長のharuです。こんにちは。

ポラリス ア・ラ・モードでは、みなさまが元気になれるような記事を書いていきたいと思いますが

人間、そんなにポジティブでばかりではいられないものです。

ときには、焦りだったり、不安な気持ちがやってくることもあると思います。

私には理由なくとても焦るようなことがあります。その理由を突き止めようとしても

どうしても原因のわからない、ねっとりと自分にまとわりつく不安。

そういうとき、私はその不安をまずは認めるようにしています。

《ああ、自分は今不安なんだ。わけもなく焦っているんだな》

そうやって、まずは認めてしまいます。

そうすると、不思議とちょっとだけ落ち着きます。

友達や、家族が不安な気持ちを訴えてきてくれたときにもまずは

《そうか。いま、不安なんだね。》

という声をかけています。

ひょっとすると、そんなに意味がない言葉や声かけだと思うかもしれません。

でも、とても大事なことなんだと私は思います。

もしも、《ふあん》がひとりの人格だとしたら。

もしも、《ふあん》がひとりの人格だとしたら

その《ふあん》は時々私たちのもとにやってきては

なにか伝えたいことを一生懸命伝えているんだと思います。

その伝えたいことは、残念ながらなかなか伝わってはきません。すこし、くちべたなのかもしれません。

だけど、たしかにそこに存在しています。たしかにまちがいなく、私たちのために。

 

もしも、《ふあん》がひとりの人格だとしたら

いないものとして扱ってしまったらどう思うでしょう。

いなくなってしまえ、いなくなってしまえと追い払おうとしたら、どう思うでしょう。

《せっかく、伝えたいことがあるのに》

《このことに気づいてほしいのに》

《あなたのためにここにいるのに》

と悲しくなってしまうでしょう。

ちゃんと、いまここにいるんだということ。

心のなかに存在していること。

認めてほしい。わかってほしい。と思うでしょう。

《ふあん》に居場所をあたえてあげる。

まずは、《ふあん》の存在を認めてあげること。

そこにいるんだね、と気づいてあげること。

これができればその時点で、不思議な言葉になりますが

《ふあん》はちょっぴり、あんしんします。

あんしんしてもらったら、すこしずつ語りかけましょう。

なにを、伝えたいのかな。いまはそこにいていいから、すこしずつ教えてくれないかな。

無理に追い出そうとせず、ただただ、《ふあん》をゆっくり感じて

言いたいことを聞いてあげると、いつの間にか

《ふあん》は、ほっとしてどこかまた在るべき場所へ還っていきます。

《ふあん》が自然に還っていく気持ちになるまで

ちょっと辛抱がいりますが、《ふあん》に居場所をあたえてあげて

じっくり、ゆっくり向き合うといいのかなと思います。

深呼吸して、ゆっくり付き合っていけば

けっして怖い存在ではないことがわかります。

むしろ、ちょっと愛おしいような存在に思えたら素敵ですね。

《ふあん》がやってきたらまずは

そこにいるんだね。と声をかけてみてあげてください。

ちょっとあんしんしてくれたら、実はそれで、もうほとんど大丈夫です。

編集長 haru 

P.S きょうの記事は、お子さんでも理解できるようにすこし平易な文章で書いています。

もし、《ふあん》が訪れているお子さんがいれば、もくじ以降の文章を

読んで聞かせていただければうれしいなと思っています。

「人格」という部分を、「男の子」「女の子」に変えて、読んでみてあげてください。