ポラリス・ア・ラモード

コラム

「なにも選ばない」という選択肢を取ってしまうあなたへ。

haru

2019/01/07

編集長のharuです。こんにちは。

お仕事をされている方は、今日がお仕事初めだった方も多いことと思います。お疲れ様でした。

私自身も今日が年始の初出勤でした。私は本業はキャリアコンサルタントの仕事をしているので

多くの方の岐路に出合うことがたくさんあります。本日も何名かの方が、Aという道にいくか、Bという道にいくか…と悩んでいらっしゃるような場面に出合いました。

今この記事を読んでくださっている読者の皆様は、なんでもバシッ!とすぐ選べる方ですか?

それとも、選べずに選択をつい先送りにしてしまいますか?

えらべないあなたへ贈りたいたとえ話。ある中華料理屋でのシーン。

もし、あなたがどうも物事を選び取ることが苦手で、つい選択することを先延ばしにしてしまうタイプだとしたら。

この例え話をふと思い出してくれたらうれしいなと思っています。

(私自身も実は迷う時にはけっこう迷う方なので気持ちがわかります。)

 

空腹のあなた。ある中華料理屋さんにいます。大好物の、麻婆豆腐と八宝菜、どちらを食べるか悩んでいます。(どちらも私の大好物。)

濃い辛い麻婆豆腐で、ぴりっとしたひと時を過ごすことも魅惑的だし

お腹にやさしそうな八宝菜を食べて、ほっこりするのも捨てがたい

どちらも魅力的だし、どちらか選んで失敗したくもないし、選べない。

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迷ったあげく、あなたはどちらも選べずに《どちらも食べない》ということを選択してお店を出ました。

どっちかを選んで「いやあ、不味かった。もう一方を選んだ方がよかったかもしれない。」と後悔したくないからです。

寒空の下、お腹はぐうぐう鳴り続ける。

なにも選べないということは、どちらも食べないということ。

この話は強調して書いていますが、結局なにも選べないということは、どちらの料理も食べないということに似ていると思います。

どちらかを食べたら、すくなくとも空腹はおさまり、もし不味かったとしても自分の栄養になります。

人生での経験も同じことだと思います。なにかを選ぶ時、どうしても失敗したくなくて、後悔したくなくて

結局どちらも選ばずに、つい選択を先送りしてしまう。とても気持ちはよくわかります。

なにかを選ぶということは、なにかを捨てるということ

捨てたものがあとで惜しくなるかもしれない。そう思うと選べなくなります。

だけど、ある料理(例えば麻婆豆腐)を選んだ時と同じように、その経験(や味)は例え苦々しいものであっても必ず

人生の糧となり、心の栄養となると思うのです。

できるだけ「選ばないという選択肢」を取るのではなくて、勇気を持って物事を選んでいきたいなとそう思うのです。

映画鑑賞に例えるならば

もう一つ例えるならば、映画でしょうか。

あるサスペンス映画、あるロマンス映画。二つの映画が上映中。

このどちらも捨てがたく、結局「観ない」という選択肢を取ってしまったら。

どちらかの映画を観た時に得た新しい発見や、学び、感動はあなたの元にやってくることはありません。

もしどちらかの映画を観てつまらなかったとしても、なにか一つでも無意識的に心に残ることがあるかもしれません。

それが知らずしらずのうちに心の滋養になっているということもあります。未来のどこかで、ふと役に立つこともあるかもしれません。

選択することが、人生を創る

「なにも選ばない」という選択肢が絶対悪だとまでは言いません。

体調が悪い時など、麻婆豆腐も八宝菜も無理して食べずにゆっくり休んだ方が良い時もあります。

なので、いつもなにかを選べ(なにかを食べろ)とまでは言わないですが

だからと言って、ずっとずっと食べないままだと栄養失調になってしまいます。

時と場合によりますが、選択するべきシーンでは思い切って選択してしまった方が良いと私は思います。

選択することが、人生を創ると思います。

選択することで、自分らしさが生まれと思います。

人生の出来事にはなにもかも失敗はなくて、きっと残るのは人生の糧、心の栄養

選ぶことを過度に恐れずに、選ぶことで豊かさが拡がる。そんなイメージが持てれば良いですね。

(ちなみに、なにかを選ぶ時に自分の指針となる「ポラリス」があれば心強いと思います。)

私も、選ぶ勇気を持ちます!

編集長 haru