ポラリス・ア・ラモード

コラム

ファジーを愛する。

haru

2019/01/16

みなさん、こんにちは。編集長のharuです。

今日はひとつ気づいたことがあり、みなさんにシェアさせていただければと思いました。

忘れがちなことだけど、大切なこと。

「世の中には白と黒で分けられるものばかりではなく

その間に無限の色が広がっているんだということ」

ファジーを愛してあげる

ファジー《fuzzy》:(輪郭・境界・音・思考などが)不明瞭な・不鮮明な・ぼやけた・曖昧な・はっきりしない

この言葉を聞いて、みなさんはどんな印象を持たれますか。

なんだかあいまいで、よくない印象でしょうか。

私は普段、キャリアコンサルタント 兼 営業をしていて数字の世界で生きています。

この業界も長くなってきて、白か黒か、達成するか未達成か、という指標で物事をみてしまうくせがついてきてしまっていたようでした。

あるきっかけがあって、夫がこう言ってくれたんです。

もっとファジーでもいいんじゃない?

ファジー。つまり、曖昧で、不明瞭で、不鮮明で、はっきりしない状態。そういう状態だって

けっして悪くはないんだ。と言ってくれたのでした。

白と黒の間に広がる無限のグレーの美しさ

ポラリス ア・ラ・モードでは、一貫して自分のポリシーを持つことの大事さをお伝えさせていただいています。

それはほんとうに大切なことだと思います。

だけど、それはいつも決然としていないといけないということでも

自分の思考や決定を常に明確なものにしておかないといけないということを指しているのではありません

世界には、曖昧なことはたくさんあります。

その曖昧な状態というのは、ちょっと気持ちわるいものでもあります。

できれば、明確に白か黒かとわかってしまった方が気持ちとしてすっきりするかもしれません。

だけど、白と黒の間に広がっている無限のグレーだって、結構きれいな色だと思うのです。

そのグレーを気持ちわるいものだと切り捨ててしまうことは、ある種、この世の中に広がっている豊かなものの大部分を切り捨ててしまうことに近いのかもしれません。

グレーである物事の豊かさ。これは、見過ごすことのできないことだと思うのです。

恋人になるかならないか、その瀬戸際の恋の芽生えの時期。

やりたいことに向かいたいけど、なかなかすぐに向かうことができなくてもどかしく

けれど、いろんなアイディアが降り積もってくる時期。

なにに繋がるかわからないけれど、ご縁があり出逢ったひとと、とりとめもなく話すひととき。

豊かで美しい曖昧さは、世界に、身の回りにあふれています。

優しさにつながる、ファジー

最初はちょっと気持ちがわるいかもしれませんが、グレーをちゃんと愛する

ファジーな部分を認めてあげる。そうすることで、自分にも周りのひとにも少しだけ優しくなれるような気がします

人間なんて、いつもいつも明確ではいられないものだし

迷ったり、悩んだりもするし、白か黒か選べない時もあります。

そんなときに、グレーでいることも楽しんで、その美しさも感じられる感受性を持っていたいですね。

編集長 haru