助産師 / 原田 比呂己さん 「今あるいのちは、当たり前のものじゃない」《前編》
2019/02/02
インタビュー polaris for YOURSELF vol.4
助産師 / 原田 比呂己さん
「今あるいのちは、当たり前のものじゃない」
《前編》
自分の生きる上での指針やポリシー、「ポラリス(=北極星)」を持つ人たちのインタビュー。
今回のインタビューは、助産師をされている原田 比呂己(ひろみ)さんをお迎えしました。
大阪・福島のカフェにて朝のひととき。
ライターのakiと3人でカフェラテを一緒に飲みながら。
助産師のおしごと
haru: ひろみさん、今日はよろしくお願いします。よく考えたら、まだ会って二回目だよね?(笑)でも、どうしてもひろみさんに話を聞きたいなって思って、お声がけさせてもらいました。楽しみにしています。
まず最初に、今されているお仕事と、その他の活動について教えて下さい。
hiromi: クリニックで、助産師として働いています。
お産に立ち会ったり、妊婦さんの保健指導や、産後のお母さんのおっぱいのケアや検診がメインのお仕事です。
あとは、一歳お誕生日会といって、生まれたお子さんが一歳になったらみんなで集まる会の担当をしています。
aki: ちっちゃいちっちゃい同窓会。
hiromi: そうそう。私の勤めるクリニックは個室でそれを売りにはしているんですが、あまり横の繋がりがないので。
お子さんが同い年どうしだからこそ、悩みを共有できるような、そんな場を作りたいなとクリニックとして取り組んでいます。
aki: ひろみさんのいま勤めるクリニックの特徴はありますか。
hiromi: お産の立会いに関しても、私たち助産師がずっとそばにいていいという方針のクリニックです。
前勤めていたクリニックはとても忙しく、3・4人の方を一斉にみるという形をとっていました。
忙しすぎて・・・。一人をゆっくりみれないし、お産のときにひとりにしちゃうし。それがすごく嫌でした。
「その人の人生に1回か2回くらいしかないお産なのに。せっかく、そこに関わらせてもらっているのに。」という気持ちがあって。
今のクリニックは、受け持ちしたら、そばにしっかりついておかないと怒られるくらい。
妊婦さんとも、女子会するみたいにいつもいろいろ話しています。
どういう経緯で妊娠したんですかとかそういう話もしたり。ひととして、とても深く関われる。
だからこそ、退院して一年経っても自分のことを覚えていてくださったりもします。
aki: お久しぶりですみたいな。
haru: いいな。
hiromi: お母さんたちから、彼氏できましたか?と聞かれるとか。とにかくめっちゃ覚えてくれてる(笑)
それくらいお母さんたちと、仲良くできるみたいな距離感にはなっています。
また産むんだったらここの病院にきたいとか、原田さんがいるならこの病院に来ますと言っていただけるときはとても嬉しいです。
haru: 本職以外の活動はなにかされていますか。
hiromi: 月一で北浜のヨガのスタジオでベビーヨガをしています。
あともう一つは、「いのちのカタリバ」という月一で命の大切さについて、特に20代の女性を対象にお話をする会を開催しています。
私は、「いのち」に関する授業をもっと普及させたほうが良いなと思っているんです。
友達にこうやってお話していくときに、みんなすごく目が輝いていくのがわかるんです。
個人情報もあるので、それぞれのお母さんの細かいお話はできませんが、お伝えできる範囲でこんなことがあったよと話をしています。
そうやって話しいていくことで、聞いてくれる人たちが「守られる」ことってあるんじゃないかなと思っています。
例えば、将来もし万が一流産したときに、落込み方が違うとかですね。
「この週数までだったらお母さんのせいじゃないよ」とか、初期だったら、「赤ちゃんがどうしても生きれなかったからしかたないよ」とか言ってあげるその一言があるかないかだけで、その子たちがもし流産したときに落込み方が違うんです。
流産ってよくあることって言ったり頭では分かっていても、いざ自分がそうなったときに、「なんでわたしだけ」ってやっぱり思っちゃうものです。
だから、そういうところをもっとフォローできたらいいなって思ったのがきっかけで、いのちのカタリバをはじめました。
産科の現状とか、命の大事さを伝えることで、誰かの何かのきっかけになればいいなと思っています。
いのちのカタリバ
「あたし、助産師になる!」小学生の、ひろみさんの決意。
haru: もともと助産師さんになりたいと思ったのはいつで、どんなきっかけだったんですか?
hiromi: 小学生のときに、テレビでお産のシーンを見て、お産がほんとうにすごいなと思って、わたしもここに関わりたい!と思いました。
haru: お産がすごいって小学生で、思うの。
hiromi: 思う。すごーい!こうやって赤ちゃんて生まれるんだって、そこにすごく魅力を感じて。
すぐに「お母さん!この仕事なに!」って母にきいて「助産師やで。」と教えてもらって。
「あたし、助産師になる(決意)」みたいな(笑)
小学校1-2年生だったと思いますが、そこからいままでずっとぶれることはなかったです。
haru: 違う仕事いいなとか思うこともなく??
hiromi: はい。なかったですね。(決然と)
haru: どうしてそんなに強く思い続けられたの。
hiromi: なんか、使命感みたいなものですかね…。直感。わたし直感派なんで。(笑)
絶対助産師!って、思い込んだら、思い続けられました。
恩師に教えてもらったこと
haru: 中学生や高校生のときはどんな子だったんですか。
hiromi: 中高は吹奏部に所属して、吹奏楽一筋!そこでは、人との集団生活・チームワークのようなものをしっかり学ぶことができたと思います。看護もチームワークなので、そういう意味では今につながっていますね。
ひとりではできないけどみんながいたらこんなにいい曲がつくれるんだとかそういうことを学びました。
そのクラブはほんとに家族みたいな感じで。こんなチームで将来仕事ができたらいいなみたいなと思ったのもありますね。
それから、中学校の時の先生がとても良い先生でした。
ある日、先生に誕生日教えてくださいって言ったら、教えてくれなかったんです。
aki: どうして?
hiromi: 誕生日は親に感謝するものだから、友達や周りのひとに祝ってもらうのもいいと思うけど一番は親に感謝する日だよ。
だから教えないんだって。中学校のときはその意味をよく理解することができなかったけど、
助産師になった今は、先生はまじですごかったなと思いました。
その先生がわたしを人として育ててくれました。恩師のことは今でも感謝しています。
国試D判定からの合格!助産師に。やめたいと思ったら必ず届くお母さんたちからのお手紙
hiromi: それから高校生になって、吹奏楽一筋だったので、全然勉強してなくて、大学行けるところがなくて…
でも絶対に助産師になりたいという気持ちはずっと持ち続けていました。
そしたら助産師資格を取得できる大学の推薦をたまたまもらうことができて。いろんな偶然が重なって大学へ進学できました。
haru: ほんとによかったですね!大学へ無事進学。あと、助産師って国家資格が必要だよね。
hiromi: はい。そして、助産師はお産を9例以上経験しないと国家資格を受けられないんですよね。
その経験をさせてくれたお母さんたちがいました。中でも、最後の9例目くらいでは、あるお母さんを入院から退院までみさせてもらったのですが、そのお母さんからの手紙は今もずっと持ってます。「いい助産師さんになってください」って。
haru: 素敵ですね(ほろり)
hiromi: 国試までは本当に大変でした。一ヶ月姫路で泊まり込みの缶詰になっていたので…。
そういうときに応援してくれた人たちがいたからやっぱり頑張れて。
国試直前は、D判定だったんですけど…。まじでこれは落ちるかもしれないみたいに思いました(笑)
haru: それでも無事国試も合格して、助産師になれて。
hiromi: はい!念願の助産師になれていろいろ経験しましたが、こんなお産なんていやだ。
と、お産を見ながら泣いたこともたくさんありました。ひどいと思ってしまって…。促進剤を使ったり、誘発したり。
もちろん、必要な人には医療介入は必要だと思うんですけど、でも必要でないひとにも使うときもありました。
ひっぱったり、おしたり。それでも出なくて、帝王切開みたいな…。これって、わたしの力不足だったのかなとも思ったりしました。
haru: そうしたことが続いて…ひろみさんはどうしたんですか。
hiromi: 1年目や2年目は、とにかく仕事に集中するしかないと考えて、勉強して課題してと、とにかく頑張っていきました。
そのたびにお母さんたちにはとても助けてもらいました。
もういやだ、やめたいって思っても、なぜかちょうどそのタイミングで、お母さんたちから手紙がくる。ありがとうございました。って。そこで、「やっぱり、やめちゃダメなんだー」みたいに思いました(笑)
haru: まさに、ナイスタイミング!って感じですね。
インタビュー後記
もうやめたいって思ったときには、いつもお母さんたちからの感謝のお手紙。
比呂己さんを、この仕事に留めるような・応援してくれるような何か大きなパワーが、
彼女をそっとくるんでいるんじゃないだろうか?と
感じるようなお話をお聞きしました。
後編では、いよいよ彼女のポラリスについてお話いただきます。どうぞお楽しみに!❤︎